天体望遠鏡では、宇宙の表面が観測できますが、能では宇宙を感じられます。
99歳加藤登志子さん手記より
脳梗塞 全く立てない状態からの全回、たった3ケ月❕
- 81歳からの手習い
全く突然、思いがけない事態に遭遇する事があります。それも自分だけは大丈夫とたかをくくっている時にです。
お謡の稽古場へ向った或る日の事、何時もの様に駐車し、車から出ようとドアを明け(ママ)左足をおろし、右足を地面に付けた瞬間、何とも妙な痛みが走りました。この一歩が踏み出せない、力が入らない、無感覚でブラブラ状態であること、今まで体験した事のない右脚の異常に気付きました。左脚でケンケン跳びをしてみますが、今、辛うじて頼りのこの右脚の膝がガクガク。これでは両脚とも不可能になってしまう恐れを感じ、両手をつかってやっと地面にお尻をつけ思案にくれて居りました。そこへお仲間の殿方がみえ、止むなくおんぶで、階段を二階へ運んで頂いたのです。思いがけない緊急事態です。
この日、骨専門医師を紹介して頂き、治療を受けました。数日は通院しましたが、一向に効果はあらわれず、医師の治療はつらく痛いばかりです。かつて母が股関節の大腿骨骨折で、三か月も入院し退院後も歩行困難、やがて寝たきりの生活になった始まりが八十三歳でしたから、私もこの年令に近付いた事を悟りました。いよいよ母の二の舞です。案の定と覚悟は決めたもののこんな口惜しい事はありません。 膝行(いざる)る、上も下も兼用の裸足、内も外も区別ない猫族の生活が始ったのです。
そうして又次のお稽古日がやって来ました。
玄関を這いだし、車庫まで、お尻を地面につけながら膝行って、車に攀じ上りました。車に乗りさえすれば運転は可能です。稽古場に到着、下車し、それから這って階段を一段一段上がりました。何と云うみじめな恥しい姿でしょうか。井上先生の「先ずは立って‼」というお言葉に立てる気がした‼
突然立てなくなった姿をご覧になった、師匠の井上先生は、仕舞が功を奏する事を即座にお考えになったのです。二本の脚で立つ事から、仕舞の第一歩が始まりました。しかし、先生は何と無謀な。一歩もあるけない老婆に向って、とんでもないと私は半信半疑です。でも何かしら、引き摺られ、ひっぱり込まれる様な不思議な引力を感じました(井上先生の発せられておられる、7,8シューマン波動の空間だから立てる気がすると加藤さんは思えたんですね!・・・波羅宮の私見)
真直ぐに立つ事、二本の脚を揃え、足の裏が畳の表を、両方で十本の指が掴んでいる。ことに親指に最も力がこもっていて踏張っています。この時、体躯は足くびからやや前掲(ママ)(10°~15°)しています。自然に。そしてつらくないのです。
後に解って来た事ですが、今までとは別の筋肉の働き、即ち大腰筋と云う深層筋の力を感じていました。
そしてこの日、サシ込み、ヒラキ、と云うパターンを教りました。左足から前進で左右左右、この右足は左足の中程に殆ど揃えて止める。次に、左右左と後退し両足を揃えて止める。前進、後退ともに一足は足の裏の長さとなっており、一パターンに用いる距離は足裏の四倍であると理解しました。しかし、これはあくまで、基本であり、仕舞に於いては曲目の表現に応じて歩数は様々に変化することも勿論です。
こうして、仕舞の基本第一歩を私は踏み出していました。脊椎を伸し腰から約十度前掲(ママ)した姿勢を保つ事が、第一条件なのですが、この姿勢だからこそ「サシ込ミヒラキ」のパターンを苦しむ事なく行う事が出来ました。
日課として、この「サシコミヒラキ」を十回、一セットとし、我家の廊下を稽古場に、午前二セット午后二セット、計四十回を最低に、必要に応じ、尚時間の余裕に応じて、回数を厭わず繰返し行って来ました。」何時の程からか、足の裏は親指と踵がしっかり地面を捉えている感覚が脳に働き、何かを甦えらせています。これが何であるのか、それは、一国のヒトとして、地球に存在する生物の一粒としての極く自然な根源的な存在感、誇りをさえ感じられてしまいます。又、通常の歩行とは異る筋肉の働きを感じられるのは、後に痛みや疲労感が残らない事。更に、脚腰が痛くて歩行がつらい時、このパターンに置き換えて歩くならば、痛みを感じる事なく歩行は可能になるから不思議です。
日本の武道・剣道薙刀の動きに、その心とともに共通しており、更には芸道の点前をはじめ数々の所作等 日本の凡ゆる古道に於いて夫々(それぞれ)の基本となる事項がこのお能の中に凡て仕組まれている事が解ります。お稽古を重ねる毎に目から鱗です。新たな発見を供なって理解が深かまるのを今もって感じています。
歩行困難な障害をかかえた老人に、正常な歩行を取戻させ、同時に、お謡だけでは本当の理解を求められないお能の領域へ誘なって下さった師匠井上和幸先生には只々感謝の外ございません。医師では治し得なかった障害に対して、全く思いがけぬ決断を下されました。これは驚くべき事であります。私は生涯、かけ替えのない伴侶としてこの稽古を継続する事でしょう。齢八十六にさしかかり、あと僅かに残された生命を持って、今、遙かに遠いお能への道を見つめ、その出発点に立っているところです。グズグズしてはいられません、急がねば、もっと急がねばならなくなりました。
つづく引用お能健康法より
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